訳者の私的画像集11


病気見舞いの花束

 ここまで、手元にある記念のものを、最近撮影した画像で紹介してきた。今回は、その場限りとなった記念品を紹介しよう。

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 訳者は2007年の秋に体調を崩した。朝、肩と腰を中心とした部分の痛みがひどくて、起き上がることすら困難な状態になってしまったのだ。最初は、わずかな痛みだったのが、日を追うごとにものすごい痛みとなり、朝、ベッドから起き上がることができなくなった。1時間ほど体をもみほぐした後でも、ズボンをはいたり、靴下をはいたりする動作が、こんなに大変なものなのかと思い知らされた。

  幸いのことに、リウマチ性多発筋痛症ではないかという診断が12月の初旬に下り、ステロイドを服用することで、痛みは、最初は急激に、その後は軽い痛みも徐々に和らいでいった。

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 当時、「訳者もついに40肩、50肩の歳になりましたね」、といって、まじめに取り合ってもらえないことが多かった中で、医者に行くことを勧めてくれた人のことは今でも忘れない。その一人は身内の一人娘であり、自分の通っている病院のかかり方を紹介してもらった。もう一人は医者に掛からないと失明の危険すらあることを、親類の例を挙げて指摘し、医者に行くことを強く勧めてくれた同僚の一人である。

 

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 闘病中にも、かえって国内の遠くの同僚がいろいろ心配してくれた。それらの方々にも恩義を感じている。一方、アメリカの同僚に話をしたら、AFTEからのお見舞いとして、この花束が届くところまでになった。この花束を受け取った時の喜びは大きく、力をもらった。

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 当時、家内も白内障と緑内障を患っており、治療薬の副作用で大腸にも異変をきたしていた。

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 そのような事情から、この花束には、このような手紙が添えられていた。

 昔は、職場でも、結婚祝い、出産祝い、お見舞い、などのやり取りがいろいろあった。最近は、そのようなやり取りは業務上の不正を招くものとして禁止され、職場では一切の付き合いをしない村十分(葬式や火事の時すら関係をもたないので村十分)状態となった。知らせも、個人情報の保護の観点から行わないようになった。

 さびしいといえばさびしいが、これからはこのようなドライな生活に慣れていかねばなるまい。

 
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