訳者の私的画像集3


アル・カポネゆかりのペン立て

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 訳者は1989年7月に、米国の工具痕鑑定の重鎮であるアーサー・R・パホルキー(Arthur R. Paholke、愛称アート) からアル・カポネゆかりのペン立てをプレゼントされた。

 アートは1927年生まれで、聖バレンタインデー虐殺事件の時には、生を受けていたことになる。第2次世界大戦と朝鮮戦争を海軍に従軍し、海軍では鍵師をしていたという。1960年代にシカゴ警察犯罪捜査研究所の拡充に伴い工具痕鑑定者として入所した。AFTE(銃器・工具痕鑑定者学会)の第4代会長を務めている。

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 訳者が知り合ったころ、彼はアルフレッド・ヒッチコック監督のような風貌をしていた。ユーモア豊かな一方で、彼の講演は学校の授業のようで、聴衆を遠慮なく指してその理解度を確かめた。英語が苦手な訳者はビクビクして聞いたものだった。

 彼は、工具痕鑑定の中でも鍵関連の鑑定の第一人者であった。仕事の傍ら、鍵やドアノブの収集家としても知られるようになった。収集したドアノブは幅12mの展示室に展示されていた。

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 そんな大人物であったパホルキーから、今から思えば未だ駆け出しだった訳者が、このようなプレゼントを受けることができ、喜ぶとともに驚いたものだった。

 そんなアートも、2002年10月10日に脳卒中の療養中に心臓発作で亡くなられた。享年75歳であった。

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   この素晴らしいプレゼントには、その趣旨と、私のために特別に製作したことを伝える手紙が添えられていた。

 私に対する教育的効果を狙った点もあり、法科学分野でのさらなる貢献を期待するものと理解した。

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  アーサー・P・パホルキー

内山さん
あなたの法科学への貢献に対する私からのお礼の品を同封しました。

私が収集した骨董品で作った装飾ペン立てです。

ドアノブにある「L H」の装飾文字は、イリノイ州シカゴ市のレキシントン・ホテルを示しています。レキシントン・ホテルは悪名高いアル・カポネが本拠地としていたところです。

私は、シカゴ警察の犯罪捜査研究所在職中に、レキシントン・ホテルと交渉して、アル・カポネが住んでいた部屋のある4階の床板1メートルほどともに、ドアノブとエスカッチョン2~3個を手に入れることができました。

私はドアノブとエスカッチョンが配置できるだけの長さに床板をカットして、あなたのためのペン立てを作りました。床板はヒマラヤスギが使われています。

アル・カポネは聖バレンタインデー虐殺事件の首謀者ですが、誰もそれを証明できませんでした。このペン立ては、それを記憶に残す重要なものです。

聖バレンタインデー虐殺事件が契機となり、イリノイ州シカゴ市のノース・ウエスタン大学に科学犯罪捜査研究所が設立されることになったいきさつを、あなたは知っておられるだろうか。

シカゴ・ポリス・スター誌の1978年2月号に、私のカポネ関連収集品の記事があります。

「カポネのシカゴ」という本の第3章も同封しました。これを読めば、アル・カポネの悪行と聖バレンタインデー虐殺事件のことがわかると思います。

メアリー・フィッツジェラルドの書いた「シカゴ警察科学犯罪捜査研究所の歴史」はあなたにとって大変興味深いものと信じます。

内山さん。この骨董装飾品があなたの職場を飾り、シカゴの悪名高き歴史をあなたと共有できることは、私の大きな喜びです。

敬具
                            アーサー・P・パホルキー


 これとは別に、次のような手紙が添えられていた。

 この芸術的骨董品のペンスタンドは内山常雄のために製作されたものである。

 この装飾品はイリノイ州シカゴ市のレキシントン・ホテルで手に入れたものである。
 サウス・ミシガン通り2135番地の10階建のこの建物は、シカゴ市を代表する建築物であり、1893年のシカゴ万国博覧会に備えてホテルは開業した。
 ただ、このホテルが最も注目を浴びたのは1928年夏で、ギャングのアル・カポネが、それまでメトロポール・ホテルに構えていた本拠地を、通りをまたいだ向かい側にある品の高いレキシントン・ホテルに移したときであった。
 アル・カポネはレキシントン・ホテルの5階すべてと4階の一部を買い取り、住居と高収益の売春宿に作り替えた。
 1929年2月14日、シカゴ市は聖バレンタインデー虐殺事件を経験した。その首謀者がアル・カポネであることは誰もが知っていたが、それを誰も証明できなかった。
 聖バレンタインデー虐殺事件はアル・カポネの経歴の転換期となり、実際に彼が支配していたギャングの世界は変化した。
 この卑劣な行為は、何人かの裕福なシカゴ人を立ち上がらせ、1929年にノース・ウエスタン大学に科学犯罪捜査研究所が設立された。
 アル・カポネは1932年に脱税の罪で刑務所に送られるまでの間、このレキシントン・ホテルから彼の犯罪組織を支配したのである。

敬具
アーサー・P・パホルキー
 



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