訳者の私的画像集4


バドの超一級ペン立て(Bud’s Super-Duper Pencil Holder)

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 この散弾銃用の薬きょうを利用したペン立ては、1990年6月17日から22日にかけて、アメリカ合衆国ネブラスカ州オマハ市で開催されたAFTE(銃器工具痕鑑定者学会)の第21回セミナーの講演者に贈られた記念品である。

   バドとは、オマハでのセミナーをコーディネートする労を取られたマルセラス・ディーツさんの愛称である。バドは、ベルトにガンホルスターこそ付いていなかったが、西部劇の登場人物を彷彿とさせる服装でよくセミナーに参加していた。

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 バドは、雷管を装填する前の薬きょうをレミントン社とフェデラル社から入手し、このペンホルダーを作成したという。  AFTEは、その前年にバージニア州のバージニアビーチ市で第20回記念大会を開催しており、その翌年であることから規模の縮小が危ぶまれていた。バドは、その21回目の大会を、盛会にした功労者である。彼は大会のスローガンに、「基本への回帰(Back to Basic)」を掲げた。

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 その5年前に公開された映画バック・トゥ・ザ・フューチャーをもじったスローガンだったかもしれない。当時は、鑑定に新技術がどんどん取り入れられており、20回記念大会でもその種の講演が多かった。それに対して、古手の鑑定者であるバドは、鑑定の基本に立ち返る重要性を提唱したのである。

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前列は左から右へ20番、410番、32番
後列は左から右へ12番、8番、16番の薬きょうである。
太い8番と細い410番が前後に並んでいて、8番の太さが強調されている。

 ネブラスカ州は西部の始まる州といわれ、牧場や小麦、トウモロコシの広大な畑が広がっていた。夏至の時期のオマハは米国が夏時間であることも手伝って、9時過ぎまでは外で活動できるほど明るかった。

 大会2日目の夕方、セミナーが終わってからバーベキュー大会が予定されていた。講演終了後、皆が着替えて6時過ぎに出かけた。往復の足は黄色いスクールバスであった。皆、子供時代に戻ったように、はしゃいでバスに乗っていた。

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 これは、その途中の景色をバスの中から撮影したものである。午後6時過ぎなのに夕方とは思えない明るさで、大型の散水機に感心したりしながらバスの車窓から見える景色を楽しんでいた。最初は青空も見えていたが、日が傾くにつれ、遠くに稲光のようなものが見えるのには気付いていた。

 小一時間かけて会場のバンガローに到着した時には、あたりは薄暗くなっていた。ただ、それは日が傾いたことより、雲が厚くなった影響が大きかったのだ。バーベキューの支度を始めた直後に、猛烈な雨が襲ってきた。準備ではなく、片づけに一斉に走り回ることになった。

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 この写真は、サンダーストームがやってくる直前の写真だと思う。

 それから1時間ほど、外は雷を伴う土砂降りの雨。バンガローの外に出ようものならビショビショになってしまう。屋外で行うはずだったバーベキューは狭い屋内で行うこととなった。

 それでも9時前には雨が小降りとなり、外に出ていく人が増えだし、すし詰めのバンガローも動きやすくなった。それから10時過ぎまで、キャンプフファイヤーの周りで、蹄鉄投げなどに興じたのであった。

 バドの夫人のバーバラは、日本の高校生をホームステイさせる活動を行っており、日本に知り合いが多かった。AFTEの活動にも熱心で、毎年セミナーに出席していた。確か95年ころ、ホームステイさせた人に会いに来るとのことで来日した。その時は自宅に招いたり、観光地を案内したりした。

 その翌年のセミナーには、いつも顔を見せているディーツ夫妻の姿はなかった。バドが胃がんの闘病中だとその時聞いた。前年の来日も、まだ体の自由がきく内にとのことだったとその時知った。

 そのまた翌年のセミナーでは、バドの名前は没故会員として報告された。その後、AFTEでバーバラの姿を見かけることもなかった。

 バドはオマハ市警察に所属していた。AFTEの名物会員で実力者であった。
 



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