マグカップ・コレクション1 AFTE第18回シアトル大会記念マグカップ
訳者は、結婚するまでコーヒーを飲む習慣はなかった。家内は米国で生活していたことがあり、アメリカンコーヒーを好んで飲んでいた。そこで結婚後は、日曜の朝に一緒にコーヒーを飲むようになった。それが、毎朝コーヒーを飲むようになったのは、アメリカに行くようになってからである。
初めてアメリカに行ったのは37歳になってからであった。それまで、ファーストフードは食べたことがなく、マクドナルドやケンタッキー・フライドチキンも、誰かが買ってきたものを家で食べたことがあるだけだった。
アメリカで朝食や昼食をホテル以外で安上がりに済ますには、ファーストフードを利用するしかない。ところが、ファーストフード店を覗いても、英語が聞き取れない以上に、ファーストフードの注文の仕方がわからず、戸惑ったものだ。その後、日本でマクドナルドの店に行ったら、言葉が違うだけで、システムが全く同じであることを知った。日本でファーストフード店を経験していれば、アメリカで戸惑うことはなかったと後悔した。一旦注文した後、番号が呼ばれたら品物を取りに行くというシステムそのものを知らなかったのだ。
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これは、アメリカ合衆国の西海岸のワシントン州シアトルで開催されたAFTEの第18回セミナーの記念マグカップである。これが訳者が参加した最初のAFTEのセミナーであるとともに、初めてのアメリカであった。海外旅行も、その前年の年末年始に家族で行ったオーストラリア旅行が、初めてであった。
AFTEのセミナーに毎年参加するようになって、コーヒーの味を覚え、その後、コーヒーを多飲するようになった。一時期は、職場の隣にあった店にアメリカンコーヒーを飲むために、毎日昼食に出かけた。今となっては夢のような話である。
このマグカップは、薄いコーヒー色をしていて、右手でマグカップを持つと見える所には、18回の年次セミナーの文字と、AFTEのコーポレートシール、1987(年)ワシントン州、シアトルと書かれている。すべてコーヒー色である。
セミナーが開催されたのは6月下旬の夏至のころで、シアトルは午後10時過ぎまで明るかった。時差がこんなにつらいものとは、この時初めて知ったのだが、朝早起きし、やたらと空腹感が強く、到着翌日の朝はホテルのレストランでニューヨークステーキをサイドオーダー付きで食べた。注文した時、ウエイトレスに、そんなにハングリーなのかと確認された。
左手でマグカップを持つと見えるところには、シアトル市のシールが描かれている。この円形のシールには、2段にわたって、シアトル市のシールを意味する「・CORPORATE・SEAL・OF・THE・・CITY・OF・SEATTLE・」と書かれている。このシールもコーヒー色をしている。
中央には先住民のシアトル酋長の横顔が描かれ、その横顔の下に1869(年)と書かれている。
その下に書かれているのは松ぼっくりで、それを2頭のイルカが囲んでいる。
このようなシール入りのマグカップを手にするのは、この時が初めてであった。
このマグカップは、セミナー参加者に1個ずつ配られた。また、講演を行ったものにも別に1個が渡された。さらに、学会運営費の補助として、購入が勧められていたので、もう1個購入し、合計3個持って帰国した。
そのうちの1個は、職場で、もう1個は家でコーヒーや紅茶を飲むのに使用した。その後、家内が洗っていて割ってしまったので、現在2個残っている。
底には「CHINA(陶器)」と書かれている。
20年近く使い込んだので汚れてしまった。現在はしまってある。
初めてのセミナー出席と講演が終了した帰りに、シアトル空港で昼食を食べた。開放感から、ビールを飲みたくなった。空港のセルフサービスの店でサンドイッチと、ビールを2本ケースから取り出してレジの行列に並んだ。行列が長いので、日本で飲んでいる大瓶ビールの量を飲むには、アメリカで一般的な小瓶なら2本必要だ。レジの順番が回ってきたら、なんとしたことか?若い女性の店員に、ビール瓶を1本取り上げられてしまった。「アルコールはそのように飲むものではありません。1本のみ終わったら、追加して飲むものです。」と言われた。
テーブルに座り、サンドイッチを一口食べ、ビールを一気に飲み干した。そのようにして飲みたかった。すぐにもう1本のビールをケースから取り出し、再び行列に並んだ。行列は長かった。ようやく順番が来たとき、先ほどの女性は、何も言わずに売ってくれた。
2本目のビールは、ゆっくりと飲んだ。
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