訳者の私的画像集29


野球帽コレクション2   AFTE第16回セミナーの記念野球帽

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 これは、1985年にアメリカ合衆国ミシガン州の州都ランシングで開催されたAFTEの第16回セミナーの記念野球帽である。

 訳者が最初に参加したAFTEのセミナーは第18回のシアトルの大会であり、これはセミナーの参加時に入手したものではない。

 青を基調に、白のストライプが3本入り、正面は白地に青のマークが印刷されている。

 クラウンの後ろ2/3の部分はナイロンメッシュで、前1/3はウレタン製と思われる。白のストライプと、庇の白い縁取りは綿と思われる。白のストライプは、ナイロンメッシュに縫い付けてある。かなり使い込んだので、綿の部分は色あせている。

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 訳者は、1991年にアメリカ合衆国テキサス州のヒューストンで開催されたAFTEの第22回セミナーに父親を伴って参加した。最初は両親とともに参加するよう手配していたのだ、その直前に兄の連れ合いが乳がんの手術をすることになり、母親は病院に連れ添うとのことで、父親だけを連れて参加した。相当の出費ではあったが、親と海外旅行をする機会はもうあるまいと思い、奮発した。

 当時74歳だった父は英語が全く話せなかったが、こちらがセミナーに参加している間に、セミナー参加者のご婦人方の活動(スパウゼ・プログラム)に参加して、あちこち動き回っていた。そして、知らないうちに、誰かからこの帽子をもらったという。

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 あるとき父は、スパウゼプログラムの小旅行に参加して、はぐれてしまい、パトカーに乗ってホテルまで帰ってきた。向こうのバス旅行は、解散場所と集合場所が異なることがよくあり、私も戸惑うことがあったが、解散場所でバスを待っていたらしい。その後、苦労して警察署に行き、事情を身振り手振りで説明したら、パトカーで送ってくれたのだという。アメリカの警察の親切さには大いに感謝したものだ。

 ともかく、無事に帰ってこられてよかった。帰国後も、父はこの帽子を好んでかぶっていた。いつの頃からか、ヒューストンに行った年を1985年と思うようになった。

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   帽子の後ろのアメリカンホックで、サイズを5段階に調節できる。この白い樹脂の部分には、写真では分かり難いが「SAN SUN」と書かれている。庇の幅は約19cmで幅が広く、庇の丸みは緩やかだ。ナイロンメッシュの部分が広いので、日射しを遮る効果は低いが、風通しはよい。

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 正面に「MICHIGAN 1985」のセミナー開催州の名前と開催年が書かれ、その上の青の四角の中にはミシガン州の地図が白抜きで描かれている。青いところは五大湖と陸地が一緒に表現されていて、陸地と湖との境界は描かれていない。四角い枠の中央からやや左下に下がった部分にAFTEのコーポレートシールが描かれている。

 父とは、ホテルのバーで歩けなくなるほど飲んでしまい、その後何年にもわたって、皆からそのことを話題にされた。

あの年であれだけ飲む男はアメリカにもいないと。

 
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