訳者の私的画像集60


香港警察のウエストポーチ

 2005年9月に香港で国際法科学会が開催された。2008年の北京五輪を3年後に控えたこの頃から、中国では盛んに国際学会が開催されるようになっていた。ただ国際法科学会は、中国本土ではなく香港での開催となった。

 香港は1997年にイギリスから中国に返還されたが、香港警察は、それまでのイギリスの警察の流れをくむ組織で、英語も通じる。一方、国際法科学会のホストは北京の大学や司法関係者であったと記憶している。そして、中国の司法警察制度が、民主的で近代的なものになっていることを宣伝する場として活用されていた。

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 中国が、あらゆる分野で先進国に追いつき追い越すことを目標としていることが、この学会でも嫌になるほど気づかされた。講演者は、そのパワーポイントファイルを提出させられたが、中国国内のこの分野の発展のために、それが返還されることはなかった。いわば没収ということなのだが、この措置に対して、諸外国の人たちがどのような対応をとったのだろうか?

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 日本の警察も1990年代後半から、中国からの見学者を注意しながら受け入れるようになったようだが、最初は低姿勢だった見学者の態度が次第に変化したようだ。香港の国際法科学会のころからの見学者の中には、あからさまに、「もう日本から学ぶことはないな。」という態度を見せるような中国本土からの来訪者も見られた。

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 一方、訳者の知り合いの香港警察の方々は、もっと穏やかな物腰である。この香港警察のウエストポーチは、国際法科学会の際に、知り合いから招待されて訪れた香港警察のオフィサーズ・クラブで記念に購入したものである。各種の記念品のあるなかで、実際に使えるものをと選んだ。そして、現役時代には、携帯電話、印鑑、鍵、筆記具、ルーペなどを入れて持ち歩いていた。そのため、香港警察のマークも擦り切れてしまっている。

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 国際法科学会では、中国政府は多くの鑑識関係者を送り込んできていた。その中の多くは英語をほとんどしゃべることができず、中国人同士で固まっていたようだ。中国語のセッションもあり、その中での活動をしていたようだ。

 中には中国の出席者の中にも英語をしゃべる人がいて、会話をすることができた。その人たちが、意外と謙虚であることに驚いた記憶がある。設備や資機材は近代的になったのだが、まだまだ技術力が追いついていないということを語っていたのだ。

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 国際法科学会の銃器工具痕セッションは、AFTEでの知り合いがホストを務めていた。また、銃器工具痕関連のワークショップはAFTE関係者によるCMSの講座であった。その関係で、訳者を含めたAFTE会員が、香港警察のオフィサーズ・クラブの昼食に招かれた。レストランは中国風ではなく洋風で、洋食ランチだった。

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 ウエストポーチのベルト通しは、ポリスベルトに通すことができるようにするため、幅が極端に広い。そのため、普通のベルトに通すと安定が悪くなってしまう。  国際法科学会の中日には、参加各国から選ばれたスペシャルゲスト数十名が、香港警察の迎賓館のようなところで開催された晩餐会に招かれた。洋風の建物で、この時のメニューもフランス料理のフルコースであった。ワイングラスが空くと、すぐにボーイがワインを注ぎ、まだ元気だった頃の訳者は、堪能するまで飲んだ。

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 この時初めて、香港のフィリピン人家政婦の日曜日の大集合について知った。日曜日の湾の周辺に、フィリピン人女性が足の踏み場もないほど大集合しているのだ。何も知らずにその場所に行って、何が始まったのかと驚いた。

 若い女性から年配者まで、女性ばかり数千人が湾のそばの道路に座り込んでいるのだ。

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 彼女らはフィリピン人家政婦で、日曜日は休日で、雇い主の家にいることができずに、このように道路に集まってきていると聞いた。幸いその時は雨が降っていなかったが、雨の日は軒下に座っているらしい。

 雇用条件からこのようになるらしく、休日も彼女らの職場にいるより、道路上に座って仲間とおしゃべりをした方がよいらしい。

(2011.6.19) 

 
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