訳者の私的画像集52


AFTE2011 チャレンジコイン

 AFTEの2011年の大会の参加者には、マグカップとともにAFTE2011のチャレンジコインがプレゼントされた。チャレンジコインについては、後程説明する。

 コインの表と裏がどちらかを定める一般的ルールは存在しないようである。このチャレンジコインも、どちらが表で、どちらが裏か決めるのはむずかしい。白いセラミックの面をとりあえず表としておこう。

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 この面には、AFTE2011記念マグカップに描かれていたものと同じ絵柄がデザインされている。マグカップでは黒い色でシルエット状となっていたトンプソンサブマシンガンが、このコインではカラーで描かれ、文字は明るいグレーで描かれている。

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 チャレンジコインの裏はブロンズ製で、AFTEのシールに若干手を加えたデザインとなっている。変更されている点は、中央の比較顕微鏡の光路図の比較ブリッジの上に、「1969」と「2011」の年号を加えている点と、下部中央のAFTEの設立年である「1969」が「●42ND ANNIVERSARY●」となっている点である。

 このチャレンジコインは、直径44.4 mm、厚さ4.0 mm、質量29.8 gである。後に説明するコイン携帯の有無を誰何された際に提示する面は、所属組織のロゴのある面とされ、ブロンズの面となる。したがって、この面を表と解釈した方が正しいのかもしれない。

 チャレンジコインは、第1次世界大戦のある航空志願兵の運命から始まった、その後、所属を証明するために常に身に着けておくべきコインとされた。第1次世界大戦の志願兵の中には裕福な出身の者がおり、そのような一人に自費で所属部隊を示すメダルを鋳造し、所属部隊のすべての兵士に配った大尉がいた。そして自身は、そのメダルを革製の小袋に入れて首から下げて持ち歩くことにした。

 それから間もなくの出撃で、操縦していた航空機は対空砲火で大きな損害を被り、ドイツの占領する地域に不時着するに至った。彼はすぐにドイツ兵にとらわれた。脱走する気力を奪うため、ドイツ兵は、彼が首から下げていた小さな皮袋以外のすべての持ち物を奪い、彼の身分を証明するものはなくなった。その後、彼は前線近くのフランス国内の小さな町へ移動させられた。そこで彼は、夜間空襲の機会をとらえ、身分を証明するものは何も持たないまま、民間人の服装をして脱走した。

 彼は、ドイツ軍の警備兵を巧みにかわして前線に到達することができた。大変な苦労の末に無人地帯を横断し、なんとか彼はフランス軍の前哨基地に到達することができた。運の悪いことに、フランス軍のこの区域では、民間人の服装をした者による破壊活動が頻発していた。彼のアメリカ訛りを認識できなかったフランス兵は、彼が破壊活動を行っている者と考え、さっそく処刑の準備を始めた。処刑される直前になって、彼はメダルを首に下げていることを思い出した。彼は、処刑執行者となる相手にそのメダルを見せた。フランス兵は、そのメダルに描かれている航空部隊の標章が何であるかを理解し、彼の処刑を延期し、彼の身分をしっかり調べる時間をとることにした。そして、射殺する代わりに彼にワインのボトルを提供したのであった。

 彼が生還したのち、航空隊のすべてのメンバーは、常にこのメダルを携行することが習わしとなった。そして、メダルを常に携行していることを確認(誰何(すいか))しあう作法が次のように定められた。誰何者は同僚に対して、携帯しているコインを見せるよう要求する。そして被誰何者がコインを提示できなければ、誰何者に対して一杯おごらなければならない。一方、被誰何者がコインを提示した場合には、誰何者は被誰何者に一杯おごらなければならない。この慣わしは、第1次世界大戦中続けられるとともに、この航空隊員が生存していた間は、戦後も長い間続けられた。

 このコイン携帯の有無を誰何しあうのには作法がある。誰何者は、初めに自分のコインを取り出して、見えやすい位置に保持し、これから相手のコイン携帯の有無の確認を開始する旨、宣言する。その言葉に決まりはなく、それが分かるように大声で叫ぶことになる。もう一つの方法としては、無言でコインを机の上などにパチンと置く。これは、被誰何者にはっきりと聞こえる音を出して行う必要がある。しかし、机の上などに凹みを付けるような力を加えて行ってはならない。もし、コイン携帯の有無を誰何するつもりがないのに、コインを床の上などに落として、その時音が出てしまった場合には、コイン形態の誰何を誤って開始したことにされる。コインを大切に扱っていない代償を払わなければならない。

 コイン携帯の有無を誰何された者は、次のように対応する。所属する航空隊のロゴの入った面を向けて提示する必要がある。他の団体のコインを提示しても無効である。もし、コイン携帯の有無を誰何され、それに適切に対応できなかった場合には、誰何者に対して一杯の飲み物を購入して与える必要がある。何人かのグループから誰何された場合には、全員におごる必要がある。被誰何者が適切に対応できた場合には、誰何者が誰何した相手に飲み物を一杯おごる必要がある。

 これに対して飲み物をおごらない行為は卑劣な犯罪とみなされ、所属部隊のコインを返還させられる。

 コイン携帯の有無のチェックは、いつでも、どこでも行ってよい。この規則に例外はない。衣服を着用している相手に対してはもちろん、裸の相手に対して行ってもよい。コイン携帯の有無を誰何された際に、被誰何者は一歩だけ動き、腕が届く範囲からコインを手にすることが許される。それでもコインに手が届かなかった場合は負けである。

 コインは、コインでなければならない。コインをベルトバックルに取り付けていたら、それはコインではなく、ベルトバックルとみなされる。コインをキーチェインに取り付けていたら、それはキーチェインとみなされコインとはみなされない。コインをホルダーに入れ、あるいは留め金で固定してネックレスのように身に着けている場合のみ、それはコインとみなされる。

 AFTE2011では、シカゴ市が銃器工具痕鑑識において特別な意味があることが強調されていたが、もう一つシカゴのオヘア国際空港の名前の由来について初めて知った。オヘアは、第2次世界大戦の太平洋戦線での撃墜王エドワード・ヘンリー・オヘアにちなんで名づけられていたことをこれまで知らなかった。日本軍に対する圧倒的な戦火を誇り、その後日本軍によって命を落とした経緯を、会議のオープニングセレモニーで聞かされるのは、我々日本人にとって必ずしも気持ち良いものではないだろう。ただ、このように日本軍に対する戦火を誇ることは、以前に比べればだいぶ少なくなってきてる。

 エドワード・ヘンリー・オヘアは、シカゴ市が誇る人物の一人であると紹介されていた。その戦績と死は、War and Remembranceのパグ・ヘンリーの長男のモデルとなっているものと感じられた。

 そのエドワード・ヘンリー・オヘアの父親は弁護士で、アル・カポネのために働いていた。その父親がカポネの脱税を裁く裁判で、カポネを有罪に導く証言をしたことから、カポネが釈放される直前に配下の者に射殺されている。このように、オヘアの生涯も銃器鑑識の歴史と関わっている。

(2011.6.11) 

 
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