訳者の私的画像集49


マグカップ・コレクション14 AFTE2000セントルイス大会記念マグカップ

 AFTEの2000年の大会は第31回に当たる。その前年の1999年には、バージニア州のウイリアムズバーグで第30回大会が盛大に祝われたため、セントルイスの大会は、第31回大会ではなく2000年の大会であることを前面に打ち出した。そして、記念のマグカップもこれまでの陶器製ではなく、ガラス製のものとして特徴を明確にした。

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 ガラス製のカップを右手に持つと見えるところには、AFTEのコーポレートシールが黒で描かれている。この角度では、裏側の文字等が写りこんで、文字が少し読みにくい。

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 マグカップを左手で持つと見える部分に書いてある文字は、この角度では裏側の文字と干渉して読みにくいが、書いてある文字は次のとおりである。

 AFTE 2000 St. Louis, MO GATEWAY TO THE NEW MILLENNIUM

 「ミズーリ州セントルイスで開催されたAFTE2000は、新世紀への玄関口である」を意味する。ミシシッピ川の西岸にあるセントルイスが、西部への玄関口だったことをパロディー化したものである。

 また、これらの文字の後ろにミズーリ州とイリノイ州の地図が描かれ、地図の中でセントルイスの位置が黒い星印で示されている。また、セントルイスのシンボルとなっているゲートウェイ・アーチの図案が描かれている。

 描かれている地図が、ミズーリ州だけではなく、その東のイリノイ州まで描くことで、イリノイ州は東部で、ミズーリ州が西部に当たり、その間をミシシッピ川が流れていることが示されている。

 

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 この角度で見ると、文字が読みやすい。

   このカップは、外周は丸いのだが、内周は正12角形(角柱状)となっている。一時、アイスコーヒーを飲むのに愛用した。ただ、年齢を重ねるにつれ、アイスコーヒーをあまり飲まなくなり、食器棚の中で、箸やスプーンやしゃもじ立てとして使用していた。  

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 やはり、この角度で見ると、書かれている地図やゲートウェイ・アーチが見えやすい。セントルイスの位置を示す星のマークも良く見える。

 AFTEのセミナー会場は、ゲートウェイ・アーチに隣接した場所にあり、アーチに上るのにも便利であった。鉄道も近くを走っており、博物館や美術館に行くにも便利であった。ただ、夜中に一人で歩けるような街ではなかった。

 かって、ミシシッピ川の対岸のイリノイ州に行けば奴隷制がなく、自由が手に入った。そこで、黒人奴隷たちが東に脱出するためにセントルイスに集まってきたという。川岸では、黒人の歌声がいつも聞こえていた。そして、警備の手薄な時に歌われる特別の歌があり、その歌を合図に川の横断が試みられた。というような話を博物館の展示品で知った。

 博物館では、かって存在した自動車産業などが展示されていた。製造産業はどんどん空洞化して行き、いまや歴史となってしまっていた。

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 カップの底には2か所に小さな文字が浮き出している。

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 一つは、カップの内側から読めるUSAの文字だ。  昼食時、ホテルのレストランから外を見ると、近くを通る鉄道が良く見えた。中には編成が1km以上あるような貨物列車が、延々と20~30分通過していくことがよくあった。

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 もう一つは、カップの外側から読める「27」の文字だ。    帰国時には、朝一番の電車で飛行場に向かう必要があった。ホテルから駅までは10分程度の距離なのだが、まだ暗いうちに歩くのは少し怖かった。土曜日の早朝でもあり、人通りはほとんどなかった。そして、何事もなく一番電車に乗り込むと、その車両の乗客の多くは、制服を着て乗車している飛行場に勤務する人たちだった。

 
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