訳者の私的画像集51


マグカップ・コレクション15 AFTE2011シカゴ大会記念マグカップ

 第42回目となるAFTEの2011年の大会は、AFTEの第1回大会が開催されたシカゴ市で、それも第1回大会が開催された時と同じドレーク・ホテル(The Drake)で開催された。AFTE2011シカゴ大会の記念マグカップには、それを意味するメッセージが添えられている。

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 真っ白なマグカップは、右手で持っても左手で持っても同じ図柄が見える。黒いシルエットのトンプソンサブマシンガンを中心に、その真上には開催地を示す「CHICAGO」の文字が直線状に書かれ、それを上から円形で囲む「AFTE 2011」の文字が描かれている。トンプソンサブマシンガンの下から円形で囲む「WHERE IT ALL BEGAN」の文字があり、その前には3発の弾痕が加えられている。まさに、このシカゴ大会を象徴するデザインとなっているのだ。

 「すべてが始まった所がシカゴ市である」と高らかに誇るメッセージは、シカゴ市で本格的な銃器鑑識が始まるきっかけの事件があり、それが銃器鑑識によって解決されたこと、さらに世界の銃器鑑識界をまとめる学会の第1回大会が開催された場所であることの二つを根拠にしたものである。

 1929年2月14日に発生した有名な聖バレンタインデー虐殺事件では、2丁のトンプソン・サブマシンガンと2丁の散弾銃が使用され、7名の命が奪われた。2丁のトンプソンサブマシンガンのうちの1丁には、50発のドラムマガジンが取り付けられ、もう1丁のトンプソンには20発の箱弾倉が取り付けられていた。そして、これら2丁のトンプソンから、合計70発の口径0.45インチ自動装てん式拳銃用の弾丸が発射された。トンプソンサブマシンガンは、シカゴにとって重要な意味のある銃となった。

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 これらの弾丸の鑑定を行ったのがカルビン・ゴダード(Calvin H. Goddard)であった。その経緯は、(カルヴィン・H・ゴダードが語る発射痕鑑定の歴史)でゴダード自らが紹介している。現場に残された弾丸には、右回転4条の腔旋痕が付けられており、発射銃種がトンプソン・サブマシンがであることが推定された。現場薬きょうの撃針痕と遊底頭痕は、全体的に表面が滑らかで、発射痕特徴が乏しいものであった。一方、70個の現場薬きょうに付けられている蹴子痕には、平行状の条痕が残されているものと、条痕特徴が乏しいものの2種類があり、2丁のトンプソンが使用されたものと結論された。

 この事件では鑑定資料の数がきわめて多い上、犯人が警察官を装っていたため、シカゴ警察が保有する多くのトンプソン・サブマシンガンをすべて調べ上げることから始めなければならなかった。ゴダードは、シカゴ警察の保有するすべてのトンプソンの試射を行い、それらの中には、この犯罪に使用された銃がないことを確定させた。

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その年の12月になって、飲酒運転中に追突事故を起こし逃走し、追跡された警察官を射殺したフレッド・バーク(Fred Burke)の家から、2丁のトンプソンサブマシンガン、2丁の散弾銃と多数の実包類や防弾チョッキなどが発見された。ゴダードは、これらの銃が聖バレンタインデー虐殺事件に使用されたものと明らかにした。すなわち、この事件では、銃番号7580のトンプソンから20発の弾丸が、銃番号2347のトンプソンから50発の弾丸が発射されたことを確定したのである。この事件を解決できたことで、銃器鑑識が実用的な科学であることが大衆に周知された。

 それから約40年経過した1970年、AFTEの第1回大会がシカゴ市のドレークホテルで開催された。銃器と工具痕の鑑定を、さらに精密科学にするための活動が始まった時である。これら両者がともにシカゴ市での出来事であり、「すべてが始まった所がシカゴ市である」と高らかに誇っているのである。

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 カップの底面には、中国臨沂市(りんぎし)のシルバー・フェニックスのマークがある。

(2011.6.10) 

 
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