訳者の私的画像集35


野球帽コレクション5   ベレッタ・アメリカの野球帽

 アメリカでは、企業を訪問した時の記念品として、野球帽は代表格のものであろう。そのため、訳者もいくつかの銃器メーカーの野球帽を持っている。その中で、ベレッタ・アメリカは訳者が最初に訪問した米国の銃器メーカーである。

 1991年の秋に、FBIアカデミーで開催されたAFTEの発射痕鑑定の判断基準策定会議の際、FBIの取り計らいで、バージニア州にあるベレッタ・アメリカの工場を訪問する幸運に恵まれた。原則としてアメリカでは、軍用武器を製造している場所は、特別の理由がないと外国人には公開しない。この規定は、9/11以降は厳格に運用されている。

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 FBIのエージェントといえども、アメリカ国内の銃器工場の視察経験はそれほど豊富ではない。他のことで忙しいからだ当時FBIアカデミーの副所長をしていたボビー・バラックバーンが、FBIのエージェントの視察に同行する形で、訳者のベレッタ・アメリカを視察を取り計らってくれた。会社としては、日本の警察に拳銃を売り込む機会を模索していた。

 青色の帽子で、正面にBeretta U.S.A.の社名が白い糸で刺繍され、その内側の白い円の中には、ベレッタ社の3本の矢のマークが赤、白、青の3色の糸で刺繍されている。

 

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 帽子のクラウンは、正面の1枚と側面から後面の4枚の布が縫い合わされている。側面と後面の布の中央部には、換気のハトメが打たれている。

 

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 帽子のサイズは、アメリカンホックで7段階に調節できる。右側に並んだダボに左側の穴を被せるようになっており、FBIの野球帽と同じ向きとなっている。

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 庇の幅は約18.5 cmで、庇に丸みはほとんどない。庇とクラウンが接する部分には、青い紐が渡されている。

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   ベレッタの3本の矢のマークは、第二次世界大戦後に用いられるようになったもので、それより以前は、ピエトロ・ベレッタを意味するP Bが銃把のマーク(グリップマーク)に用いられていた。このような3色の矢のマークを観ることはほとんどない。

 ベレッタは、現存する銃器メーカーとしては最長の歴史を誇る会社で、すでに1526年に砲身を納入した記録が残されている。イタリアの会社であるベレッタは、1977年にワシントンDCに近い、メリーランド州アコッキーク(Accokeek)の地で、すでに破産した銃器会社の工場跡地を買い取り操業を始めた。1985年には、92 Fがアメリカの軍用拳銃に制式採用された。訳者の訪れた1991年は、その製造が一段落し、警察用などに販路拡大していた時期だった。

   工場の視察が終わった後の工場長との会議では、日本の警察に優秀なベレッタ拳銃を売り込めないかという話題となった。訳者は、その問題に何の権限もないこと、その責任部署を告げてから、日本の警察官は、優秀な拳銃より軽い拳銃を求めている。なぜなら、ほとんど撃つことがないのだから、と説明した。相手の機嫌を害さないような、外交辞令を探すのに忙しかった。

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 正面の、額に当たる部分の内側には、軟質ポリエチレンが当てられている。

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 品質表示ラベルはなく、製造所を示すものと思われる表示がある。

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 製造販売を1892年から手がけているノースカロライナ州にある会社のものらしい。

 
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