訳者の私的画像集81


シカゴ市警察のバインダー

 シカゴ市は何度か訪れたことがあるが、シカゴ市警察は1度しか訪ねたことがない。それは、平成2年の秋のことであった。知り合いは何人かいても、上司を連れての公式訪問となると緊張した。昼過ぎにスプリングフィールドからオヘアに到着し、ホテルに荷物を預け、午後2時過ぎに電話を入れた。それまで、この程度の時刻で警察を訪問することはあった。あまり早く行くと、長い間お邪魔することになることから、少し遅めにうかがうことも多かった。ところが、電話に出た当時の銃器・工具痕鑑定部門のボスであったドナルド・スミスは、独特のしわがれ声で、明日にしてくれというそっけない答えが返ってきたことからあわてた。聞くところによると、シカゴ警察の鑑定部門の勤務時間は朝7時から午後3時までだという。早いのは構わないが、遅く来るのは困るとのことだった。

 予定が狂ったが、その日の午後はゆっくりし、翌日に言われた通りの朝7時に出向いた。金属探知機を通過して、受付でこちらの身元と訪問先を告げると、顔なじみが下まで迎えに来てくれた。その後は、たぶん最大限の歓待を受けたことに今でも感謝している。

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 シカゴ市警察の銃器区具痕鑑定部門の人たちは、忙しい中を朝早くから昼過ぎまで、我々のために時間を割いてくれた。その時の記念品が、この青いバインダーである。表に、大きくシカゴ市警察と表示されており、その下にシカゴ市警察のマークが描かれている。

 訪問してまず驚かされたのは、押収拳銃の量の多さであった。作業室の片隅に、90cm四方程度で高さ90cm程度の大型の金網かご2基があり、その中に拳銃がいっぱい詰まっていた。(この種の網かごは、紙テープでプログラムを読み取らせていた時代に、紙テープリーダーから高速で吐き出されるテープを収納するのに用いていた。最近はそのようなものの必要性がなくなった。)ざっと数えても100丁程度ありそうだった。さらに驚いたことには、それが1日の押収拳銃だということだった。

 

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 それを、数人で1日の内に処理しなければ、鑑定は積み残されてしまう。それらの拳銃の大半は昨晩の押収分だという。その前日、シカゴ市で1泊したのだが、その間に警察官がそれだけの仕事をしていたということだ。当時、年間2万5000丁から3万丁の押収拳銃を処理していたということで、確かに1日でそれだけの量となる。

 量が多いことから、試射などは一切行わず、名称と寸法の記録程度で済ませることになるが、MS-DOSの上で開発した処理システムが動いており、鑑定をしながらパソコンに入力していた。サンプルの報告書を印刷して見せてくれたりした。ウインドウズ95が出る5年も前に、パソコンをずいぶん有効活用していた。

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 比較顕微鏡はAOのものだった。さっそくこれを調べてみたまえといわれ、合う部分を探すと、「シカゴ市と日本で同じ結論になった」とお世辞をいってくれた。その時お世話になった方々の大半の人は、すでにこの世にはいない。鑑定者は、毎日朝7時から午後3時まで同様の作業をくりかえしていたようだった。24時間の交代勤務の体制との話もあった。

 建物はずいぶん古く、使用されている機材にも古いものが多かった。そのような古い機材の中でも、大判の写真撮影装置にはプライドを持っていた。今では詳しいことは定かでないが、4つ切り程度の乾板写真が撮影できるもののようだった。同行した上司が、これを知っていると日本語でしゃべったら、同じものが日本にあるとしゃべっていると感じられ、そんなはずはないと強く否定されたことを覚えている。

(2011.11.2)

 
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