訳者の私的画像集72


チャーリーの自伝

 AFTE2011の会場では、2年ぶりに「隠れた証拠」の著者チャールズ・メイヤーズと再開した。2年前と変わらず、しっかりとしておられた。今年で85歳になられるはずである。そこで、新しく本を書いたから、あとで貴殿に差し上げるとの言葉を戴いた。

 バンケットのカクテルパーティーに少し遅れて顔を出すと、NISTのジョン・ソンが、チャーリーがしきりに君を探していると声をかけてくれた。チャーリーは多くの人に囲まれていたが、私がそばに行くと、ヤー常雄といって渡してくれたのがこの本である。

MayersForensicBallistics1.jpg

 書名はCHASING TAILLIGHTS TO FORENSIC BALLISTICSである。これは「パトカー勤務から法弾道学へ」といった意味である。チャーリーが60年間にわたって身をささげた仕事のことをタイトルとしているが、生まれてから現在に至るまでの自伝でとなっている。「隠れた証拠」は銃器工具痕鑑定の入門テキストの形で、取り扱った事件における鑑識活動が記述されていた。こちらの本にも同じ事件がほとんど登場しているが、思い出話として語られ、写真や図面は一切ない。

 一方、生い立ちとチャーリーの家族のことは詳しく語られている。厳しかった小学校の女教師。高校時代の悪童仲間のこと、太平洋戦争と朝鮮戦争の従軍、警察官の職を得ること、奥さんとの出会い、子供たちのこと、孫たちのこと、そして、奥さんとの別れが縦糸となっている。パトロール警官としての勤務から始まり、犯罪捜査研究所での仕事、AFTEの会長職、犯罪捜査研究所の銃器部門のトップとしての仕事、教官としての仕事、ミシガン州からフロリダ州へ移ったこと、引退後のコンサルタントの仕事などを扱った事件を交えて語られていた。働きながら大学卒の資格を目指した時期があり、裁判で弁護士から、まだ学士の資格は取れないのかと何べんも聞かれ、ついに「取れました」と答えたら、その弁護士が「これにて質問を終わります」といって、鑑定結果に同意して祝ってくれたことも書かれていた。

 「古き良き時代」に生きてきた。今ではこんなことでは済まない、ということが随所に語られていた。

MayersForensicBallistics2.jpg

 最初の娘が、知的障害をもって生まれたこと、自然に囲まれた環境で育てたこと、教官時代は辺鄙な勤務地であったが、そこで少年野球チームを組織したこと、ノースカロライナ州、テネシー州やケンタッキー州での生活など、多彩な生活が語られていた。

 私の知人も多く登場しており、こちらの知らなかったことをずいぶん知ることができた。

   

MayersForensicBallistics3.jpg

 人生についてだけでなく、銃器鑑識についても、読めば読むほど含蓄のある本であった。

(2011.9.1) 

 
<< 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 >>

訳者の私的画像集 目次に戻る
隠れた証拠に戻る